舞浜新聞

東京ディズニーリゾートなどのディズニーパークをはじめとして、ディズニーに関する様々な情報をお伝えします。



東京ディズニーシーの「ランド化」を考える

東京ディズニーリゾートには、1983年開園の東京ディズニーランドと、2001年開園の東京ディズニーシーの2つのテーマパークがあります。東京ディズニーランドは「夢と魔法の王国」、東京ディズニーシーは「冒険とイマジネーションの海」がコンセプトになっています。

 

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©Disney

 

それぞれコンセプトが大きく異なるランドとシー。実は最近、東京ディズニーシーのコンセプトが大きく変わろうとしています。それは「ランド化」つまり、東京ディズニーランドと同じようなパークになろうとしているのです。

 

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©Disney

 

今回はそんな東京ディズニーシーの「ランド化」について、考えていきたいと思います。

 

紆余曲折の末に生まれた「東京ディズニーシー」

もともと東京ディズニーシーは、ランドの補完的施設として考え出されました。シー開園前、ランドの年間入園者数は1,700万人を超えており、対応能力はほぼ限界でした。

 

1983年のランド開園当時、想定された入園者数は「1,000万人」当時は無謀とも言われる数字でしたが、シー開園前にはその1.7倍のゲストが、パークに押し寄せていた計算になります。

 

ランドに次ぐ第2パークの計画当初、ディズニーは米フロリダのウォルト・ディズニー・ワールドに建設した「ディズニー・MGM・スタジオ*1」を、東京にも建設する計画でした。

 

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©Disney

 

オリエンタルランドとしては、一定期間に第2パークを建設しなければ、自社が所有している土地を千葉県に返還するという契約になっていました。そのため、第2パークの建設は急務だったのです。

 

しかし、当時会長を務めていた高橋政知氏が、「日本人に映画のテーマパークは合わない」「急いで造っても完成度が低いものになる」として、スタジオ建設案に待ったをかけ、第2パーク計画は凍結されることになります。この一件で、オリエンタルランドはディズニーに対して、多額の違約金を支払うこととなってしまいました。

 

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ミッキーマウスとともに写る故・高橋政知氏。東京へのディズニーランド誘致に尽力した。©Disney

 

千葉県との契約問題については、千葉県庁出身の加藤康三社長(当時)が仲介に入り、結果的に土地を返還する必要はなくなりました。そこでディズニーが第2パーク案として出してきたのが「ディズニーシー」だったのです。

 

実はこの「ディズニーシー」もともとは米カリフォルニアのロングビーチ港に建設する計画でした。しかし、埋め立て費用などの問題もあり、計画は白紙撤回に。ディズニーはこのパークのアイディアをオリエンタルランドに持ってきたのでした。

 

ランドとは大きく違う「東京ディズニーシー」

こうして、世界で唯一「海」をテーマにしたパーク「東京ディズニーシー」が誕生しました。ランドが家族向けなのに対して、シーは「大人向け」カップルや中高年層がターゲットとして挙げられました。

 

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©Disney

 

シーはランドと比べて、スリルのあるアトラクションが多いこと、メニュー単価が高いレストランが多いこと、園内でアルコールが提供されていること、などからも「大人向け」の要素が強いことが分かります。

 

またシーはランドとは違い、実際にある風景を忠実に再現している場所が多いことも特徴的です。エントランス入ってすぐの「メディテレーニアンハーバー」は、イタリアのポルトフィーノやヴェネツィアの風景が再現されていますし、それ以外のテーマポートでも、実在の風景が再現されているのです。

 

東京ディズニーシーを象徴する言葉として「異国情緒」が挙げられます。ランドにも昔のアメリカが再現されているエリアもありますが、シーの場合はまるで外国にいるかのような気分を味わうことができるのです。

 

ランドとの差別化を図ったものの…

さて、そんな「大人向け」「異国情緒」「冒険とイマジネーション」を掲げてオープンした東京ディズニーシー。シーは開園当時、ランドと比べてアトラクション数も少なく、いかにゲストを集めるかが課題でした。同じチケット料金でしたら、アトラクションが多いランドへ行きますからね。

 

そこでオリエンタルランドは、シーがランドのカーボンコピーにならないよう、コンセプトが重ならないようにしました。特にミッキーマウスに代表されるディズニーのキャラクターたちについては、あくまでも「親善大使」という位置づけで、露出を少なくしたのです。

 

実際、開園当時のショープログラムを見てみると、キャラクターが出演するものは、ランドと違って少なかったのが分かります。ランドはファンタジー色が強いテーマパーク、シーは大人向けの落ち着いたテーマパーク、といったすみ分けがされていました。

 

しかし、こういった運営側の努力とは裏腹に、シーはランドと比べて入園者数で苦戦しました。これは単にアトラクションの数が少なかったことも関係していると思われますが、やはり一番の原因は「キャラクター色が薄かったからではないか」と舞浜新聞では考えています。

 

現在、東京ディズニーシーを見ると、キャラクターが登場するアトラクションやショーが、開園当時と比べて多くなっています。また、キャラクターと一緒に写真撮影ができる、グリーティングスポットも造られています。

 

日本はキャラクター文化が根強く、男性・女性を問わず、幅広い年齢層の人々が、様々なキャラクターを愛しています。ミッキーマウスをはじめとする、ディズニーのキャラクターたちも例外ではありません。

 

東京ディズニーリゾートを訪れる多くのゲストは、キャラクターを求めているのであって、海外旅行気分やレベルの高いエンターテイメント・プログラムを求めているわけではありませんでした。それがシー苦戦の原因につながったのだと思います。

 

シー復活のきっかけになったのは「ダッフィー」の存在でした。パーク内限定販売という希少性もあり、足が遠ざかっていたゲストを呼び戻すことに成功したのです。ダッフィーはゲスト一人当たりの売上高(客単価)の引き上げにも貢献しました。

 

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シー復活の立役者になった「ダッフィー」最近はシェリーメイやジェラトーニといった仲間のグッズの売れ行きも好調。©Disney

 

「ランド化」が進む東京ディズニーシー

東京ディズニーシーでは現在、ファミリー層やシニア層でも楽しめるアトラクションの整備が進められています。

 

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2012年にオープンした「トイ・ストーリー・マニア!」©Disney

 

シーの場合は「大人向け」というコンセプトが独り歩きし「小さい子は楽しめないのではないか?」と考える親御さんが多いためです。孫との3世代旅行を楽しむシニア層にとっても、スリルのあるアトラクションよりも、孫と一緒に自分も落ち着いて楽しめるアトラクションのほうがいいですからね。

 

ただ、先日発表された、2017年春オープン予定の新アトラクションについては、賛否両論が分かれています。

 

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新アトラクションのコンセプトアート(オリエンタルランドのプレスリリースから引用)

 

テーマポートの一つである「ポートディスカバリー」のコンセプトと密接に関係しているストームライダーを閉め、映画『ファインディング・ニモ』のキャラクターを前面に打ち出すアトラクションへリニューアルすることに対して、違和感を覚えるゲストは少なくありません。

 

また、拡張用地に建設予定の新テーマポートについては、北欧がコンセプトになっていますが、おそらく映画『アナと雪の女王』が前面に打ち出されたエリアになるでしょう。

 

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新しいテーマポートのコンセプトアート(オリエンタルランドのプレスリリースから引用)

 

シーの場合はファンタジー色が薄く、パーク内に登場するプリンセスはアリエル(『リトル・マーメイド』)とジャスミン(『アラジン』)だけになっています。プリンセスの要素は小さい女の子を持つ親御さんにとっては、かなり重要になってきますので、このあたりもオリエンタルランドとしては強化したいと考えているのでしょう。

 

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ディズニー・プリンセスは年齢を問わず、多くの女性に愛されている。©Disney

 

結果的に「大人向け」「異国情緒」「冒険とイマジネーション」を掲げて開園した東京ディズニーシーは、大きく変わろうとしています。ゲストが求める姿と違う以上、パークが変わるのはやむを得ないでしょう。ただ、世界で唯一のテーマパークが変わろうとしている姿に、寂しさを感じるゲストは少なくないと思います。

 

舞浜新聞としては、以前はランドとシーでそれぞれ違ったスペシャルイベントが行われていたのに、最近は同じイベントになっていることが気になっています。

 

もともとハロウィーンやイースター、七夕はランドだけであり、シーでは行われていませんでした*2。しかし、ハロウィーンを皮切りに、ランドとシーでイベントの共通化が進んでいます。これはイベントを共通化したほうが、グッズを展開しやすいためでしょう。

 

またイベントの宣伝に関しても、別々のものよりも「ハロウィーン」「イースター」のように、同じものでコンセプトを変えて行う方が、宣伝もしやすくなります。結局は経費削減のためなのでしょう。こういったシーのランド化にも、不安を感じる人がいるのではないでしょうか。

 

開園当時の完成度の高さが、足かせに?

ヨーロッパ初めてのディズニーパークとなった「ディズニーランド・パリ」東京はオリエンタルランドによるフランチャイズ経営のため、ディズニーにとっては、パリが史上初めての海外進出となりました。

 

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鳴り物入りでオープンした「ディズニーランド・パリ」©Disney

 

しかし、建設費が莫大になり、結果的に思ったよりも収益を上げることはできませんでした。そのため、のちに造られたディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーや、香港ディズニーランドは「小さく産んで大きく育てる」の考え方で、拡張を前提に設計が行われました。

 

しかし、結果として「小さいパーク」は魅力が薄くなり、コンセプトも明確ではなかったことから、集客で大きく苦戦することになりました。カリフォルニア・アドベンチャーの場合は、大幅なコンセプトの変更と再開発で、なんとか客足を取り戻しています。

 

東京ディズニーシーの場合、当初から拡張用地が準備されていたものの、ランドとの差別化から、ストーリーが造りこまれた完成度の高いパークとして誕生しました。しかし、この造りこみの結果が、現在の方針転換や、スクラップ・アンド・ビルドに暗い影を落としているのは間違いないでしょう。

 

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©Disney

 

変えるべきところは変える。ゲストが求めないものを変えることは、営利企業として当然のことでしょう。しかし、変えてはいけないものもあると思います。ゲストが何を求めているのか。何を大切だと感じているのか。オリエンタルランドの皆さんには、少し考えていただきたいですね。

 

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©Disney

 

参考資料

  • 日本経済新聞「私の履歴書 高橋政知」(1999年7月1日~7月31日まで連載)
  • 加賀見俊夫『海を越える想像力』2003年
  • 野口恒『東京ディズニーランドをつくった男たち』2006年
  • 馬場康夫『ディズニーランドが日本に来た!「エンタメ」の夜明け』2013年

*1:のちに「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」に改称

*2:クリスマスイベントは開園翌年の2002年から実施されています。