舞浜新聞

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小説「ミッキーマウスに恋をして」

この物語はフィクションです。実在する人物・企業・団体・地名とは一切関係ありません。刺激の強い表現が含まれています。

 

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©Disney

 

夢と魔法の国へ

眠い目をこすりながら、私は海浜幕張駅のホームに立っていた。オープンシフトのときは、京葉線の始発で舞浜まで向かう。

 

友人には「浦安に引っ越さないの?」と言われるが、私にはそんな気はない。どう考えても、今の収入で独り暮らしをする方が、よっぽど大変だ。それなら、実家暮らしで早起きするほうがマシだと思う。

 

電車が駅に入って来た。5:02発の各駅停車、東京行き。これを逃すと、20分までない。

 

いつものように電車に乗り込むと、そのまま端の席に座って目を閉じた。海浜幕張から舞浜まで20分。私の貴重な睡眠時間だ。電車は静かに走り出した。

 

どうして、私は今の仕事をしているんだろう?楽しいから?それともお金がもらえるから?決して楽な仕事ではない。それに、憧れてなったわけでもない。でも、やめる理由は見つからない。そんな感じだ。

 

ウトウトしていると、車内アナウンスが、もうすぐ舞浜に近づいていることを知らせてくれた。いよいよ仕事の時間。駅の階段を下りながら、ふと看板のミニーの顔を見る。まるで、自分自身を見ているかのようだ。

 

こうして、今日も私の一日が始まる。

 

関係者以外立ち入り禁止

「おっはよ!あれ?美月、元気ないみたいじゃない?どうしたの?」

「どうしたの?じゃないよ…。昨日はクローズ*1で、今日はオープン。そりゃあ、疲れるでしょ…」

「まあね、でも昨日はしょうがないじゃん。ズミック*2で欠員が出ちゃったんだから。サイズが合うのは美月しかいなかったしね」

「そりゃあ、わかってるけどさ…」

 

ワードローブ*3に入ると、ちょうど葵とばったり会った。彼女は「キャラクター・キャプテン*4」私が新人の頃から世話になっている、いわば相棒のような存在だ。身長148cmの私と、身長171cmの葵。並ぶと、かなりの差はあるのだけれど、今では慣れてしまった。

 

お互いに仕事の愚痴を言い合いながら「ZOO*5」と書かれた扉の前に来る。扉には、赤で大きく「Authorized Personnel Only」と書かれている。ここから先は、許可されたキャストしか入ることはできない。私はICカードをセンサーにかざして、中に入った。

 

「じゃあ、今日のスケジュールを確認するよ。今日はまずSでオープングリ。そのあと休憩挟んで、10:30からのセレブレート・ヴィランズ。エントランスグリの後で、昼休憩。14:00のセレブレートが終わったら、今日は上がりって感じだよ*6

 

葵が早口で、手元のスケジュール表を読み上げる。一日の流れは、いつも彼女に任せっきりだ。

 

「ねえ、ミッキーは今日誰なの?大竹さん?それとも谷口さん?」

「えっとねえ…今日はチームEだから、大竹さんだよ。ほかのメンバーも知りたい?」

「そっか…大竹さん、アドリブ多めだから苦手なんだよなあ…。まあ、山本さんよりは組みやすいけど」

「あんまりそういうこと言っちゃだめだよ。みんな、いろいろと気遣ってるんだから」

「はいはい…」

 

そんなとき、控室のドアをノックする音が聞こえた。

 

「失礼します!制作部です!そろそろ、始めても大丈夫でしょうか?」
「ええ、いいですよ。今日もお願いします」

 

私がそう言うと、制作部の2人は、台車に乗せた赤いボックスを控室の中に運び入れた。これが私の商売道具、キャラクター・コスチュームだ。まだ、生きていない状態の。

 

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©Disney

 

制作部の2人は、いつも通りの手際の良さで、私にコスチュームを着せていく。最初は靴。オープングリの靴は特殊なので、いつも以上に気を遣う。その次は体。最後は頭。いつも鏡で見るたびに「ああ、私はこうやっていつも変身しているんだな」と感心してしまう。

 

「終わりました。それでは、また時間になりましたら、来ますね」

 

そう言うと、制作部の2人は足早に去っていく。控室には、葵とミニーマウスが残された。ここから私は、もうミニーマウスだ。

 

「じゃあ、ミニーちゃん、行こうか」

 

社内の規則で、キャラクター・コスチュームに着替えた後は、実名では呼んではいけないことになっている。ミニーマウスはミニーマウス。決して「高倉美月」ではない。

 

キャラクター・コスチュームは、30分間が限界だ。冬場ならまだいいが、夏になると中は高温になって、かなりきつい。それでも、昔のコスチュームよりは、だいぶマシになったと聞いたことがある。ただ、新人の頃、熱中症で倒れかけたことは、一度や二度ではなかった。

 

オープングリはミッキーとミニー、そしてバンドのメンバーと行う。今日のSのオープンは8時。その時間よりも前から、私たちキャラクターは、ゲートの前で待っているゲストたちに挨拶をしに行く。たくさんのカメラ、視線が私を向いている。そんな中で、ミッキーやそのほかのキャラクターたちと、アドリブを演じていく。私はミニーマウス。そう心でつぶやきながら。

 

ミニーマウスを演じることは、決して楽ではない。しかし、ゲストから見たら、私は世界的に有名なスーパースターだ。ショーに出ているときもそうだが、まるで自分が有名人になってしまったかのような、そんな感覚になってしまう。この仕事の恐ろしいところは、たぶん、そんなとこだ。

 

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©Disney

 

「ミニーちゃん!」私を呼ぶ声が聞こえる。私は声のした方向を向いて、投げキッスをした。ミッキーが立ち止まる。手袋を着けた手で、ほっぺたをこする。大竹さんがこの合図をしたときは「キスして」の意味だ。

 

ゲストからの歓声。写真を撮るゲスト。中には一眼レフで撮る人もいる。でも、私には薄暗くてよく見えない。

 

時給1,100円の世界

そもそも、私が「キャラクター・キャスト」になったのは、本当にひょんなことからだった。

 

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もともとは、ディズニーランドでダンサーがしたかった。それでオーディションに応募したら、私の身長を見た担当者が「キャラクターにならないか?」と誘ったのが、きっかけ。別に昔から「ミニーちゃんになりたい!」と願っていたわけではない。

 

勤務は週5日、7時間30分のシフト制だ。時給は1,100円。ミッキーも同じ。マイナーなキャラも同じ。だから、結構辞めていく人も多い。もちろん「ミッキーの中に入っていました!」なんて言ったら大騒ぎになるので、入社する前に「秘密保持契約」を結ばされる。もし仮に、私がマスコミに「ミニーマウスの中に入っていました」なんて言って出たら、おそらく巨額の賠償金を請求されるだろう。

 

世間の人は「ミッキーの中の人は、どんな高給取りなんだろう?」と思っているのかもしれないが、ただの1年契約の非正規雇用だ。月給じゃなくて、あくまで時給。なかなかハードな仕事だと思う。

 

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©Disney

 

「お疲れさま!今日は思ったよりも、気温が高かったね。グリやってて、ヒヤヒヤしたよ」

「確かにね…。途中、かなりしんどかったよ。でも、アリエルのドレスを着た女の子、かわいかったね」

「ああ!いたね!お母さんも美人だった子でしょ?」

「う~ん…そこまでは見えなかったよ」

 

汗をぬぐいながら、葵とたわいもない話をする。彼女がいなければ、おそらく私はすぐに仕事を辞めていただろう。グリーティングをする私のそばには、いつも彼女がいてくれる。本当に私の相棒だ。

 

新人の頃、よく「こうすればよかった」「こう返せばよかった」と、細かくアドバイスしてくれたのも彼女だった。修学旅行のガキたちに囲まれて、暴力を振るわれたときも、葵は全力で私を守ってくれた。控室で泣いてしまったのも、今ではいい思い出だ。

 

「ねえ、美月。新しくキャラキャスに入る、能登路さんのことは聞いた?」

「えっ?聞いてないよ?もしかして、新人さん?」

「美月は聞いてなかったか…。実はね、マジックキングダム*7から、向こうでミッキーをやってた人が来るんだって!しかも驚かないでよ…なんと、男です!」

「そうなの?男の人が入ってくるの、久しぶりじゃない?」

「ねえ、もっと驚いてよ!」

「別にそんなに驚かないよ…。まあ、ミッキーチームにとっては、久しぶりの男性メンバーってことでしょ?」

 

マジックキングダムってことは、アメリカのパークで働いていたってことか。それじゃあ、日本のミッキーよりも、少し身長は高いのかな?どんな人なんだろう?私はそんなことを考えながら、控室を片付けていた。

 

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©Disney

 

出会いは突然に

遅めの昼食を食べるために、私はシェフ・ハットまでやって来た。今日はこれで上がりだ。葵はこのあとも仕事だというので、一人でステーキ定食を食べに来たのだった。

 

一人でテーブルに座って、むしゃむしゃ食べていると、一人の男性が近づいてきた。身長は周りの人と比べると、少し低い。

 

「すみません、隣、座ってもいいですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。どうぞ」

 

そう私が言うと、スーツ姿の彼は、トレーをテーブルの上に乗せた。見ると、私と同じステーキ定食が乗っている。

 

「あ!私と同じメニューですね」

「え?そうなんですね…。なんだか気が合いますね」

 

「あの…もしよろしかったら、どこでお勤めなんですか?」

 

その人は、私の目を見ながら、遠慮がちに聞いてきた。

 

「私ですか?キャラクター・キャストです。今はハロウィーンのショーに出てますよ」

「ああ…そうなんですね。実は私、今日が初めての出勤で…。こうやって、お話しできて嬉しいです」

 

そう言うと、彼はすこしはにかんだ。私も、思わず笑みがこぼれる。

 

このときの私は、まだ知らなかった。まさかこの彼が、私の大切なパートナーになるとは…。ミッキーマウスに恋をして、私の人生は大きく変わり始める。

 

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この物語はフィクションです。実在する人物・企業・団体・地名とは一切関係ありません。

*1:クローズ・オープン:勤務シフトのこと。オープンは開園時刻の1時間前から勤務が始まるシフト。クローズは昼過ぎから閉園時刻まで勤務するシフト。

*2:ズミック:東京ディズニーシーの夜のショー「ファンタズミック!」の隠語。

*3:ワードローブ:キャストの更衣室などがある建物。コスチュームの保管庫もある。

*4:キャラクター・キャプテン:キャラクターのそばにいて、ゲストの誘導などの安全確保を行うキャスト。

*5:ZOO:キャラクターコスチュームに着替えるエリア。動物園を意味する「ZOO」から来ている。

*6:Sは東京ディズニーシーを指す隠語。オープングリは開園前から開園15分後まで行われるグリーティングのこと。エントランスグリとは、パークのエントランス近くで行われるグリーティングのこと。

*7:マジックキングダム:アメリカ・フロリダにあるテーマパーク。東京ディズニーランドのモデルにもなった。