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舞浜新聞

東京ディズニーリゾートなどのディズニーパークをはじめとして、ディズニーに関する様々な情報をお伝えします。



日本にディズニーランドがやってきた!

東京ディズニーリゾートの雑学 小説

さて、30周年イベントもいよいよ追い込みとなってきました。例年、この時期は「閑散期」と呼ばれ、お正月明けから春休みまでは学生客がほとんどになります。平日ともなると、パークはガラガラ。あまりの人のいなささにビックリしてしまうくらいです。

 

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©Disney

 

しかし、今年はアニバーサリーの年。地方からのゲストも多くなりますし、企業・団体による夜間貸し切り営業や謎解きプログラムも行われます。アベノミクスで景気も上向いていますから、例年以上の混雑が予想されています。テレビや新聞などの広告にも力が入っていますね。

 

今まで「これからの東京ディズニーリゾート」についてばかり考えてきた舞浜新聞。今回は30周年らしく、ちょっと過去を振り返ってみることにします。

 

これから読者のみなさんをお連れするのは「1983年」NHK朝の連続テレビ小説は、のちに国民的番組となる「おしん」任天堂からファミコンが発売されたのもこの年です。

 

パソコンも携帯電話もまだ一般的ではなかった1983年、東京ディズニーランドが開園した当時はどういった様子だったのでしょうか。一人の女性を主人公に見ていくことにしましょう。

 

彼からの突然の誘い 

それは勤め先の飲み会だった。私がいそいそとお酌をして回っていると、融資課の金沢さんが話しかけてきた。金沢さんといえば、ウチの支店では期待のホープで、支店長もかわいがっていた。

 

「今度ディズニーランドに行こうよ!」

 

最初はたわいもない話だった。それは覚えている。でも人望もあって、かっこよくて、何より仕事ができる男性から突然そう言われて、ドキドキしない女子なんていない。だって場所は「ディズニーランド」ですもの。

 

 

テレビでCMをやってるのは見たことがあったけど、まだ行ったことはなかった。大学時代の友達が、会社をずる休みしてまで行ったことは知っている。でも、自分は行きたいとは思わなかった。でも、彼となら行ってみたいと思った。私は二つ返事で彼の誘いを受けることにした。

 

最寄り駅は「浦安駅」 

待ち合わせは西船橋の駅前。今日はここから営団の東西線に乗って浦安まで行く。

 

「ごめん!待った?」待ったのはこっちのせいだ。待ち合わせよりも30分早く来たのは私じゃないか。駅で切符を買い、改札の駅員さんに手渡す。当たり前のことなのに、彼と一緒だとなんだかドキドキするのはたぶん気のせいじゃない。

 

5月の休日。今日は日曜日。周りは家族連ればかりだ。8月からウチの銀行も第2土曜日が休みになると支店長は言っていたけど、それよりも飛び石連休を何とかしてほしいよ。平日と祝日がころころ変わるのは、もううんざり。

 

浦安駅に着くと、ディズニーランドまではバスで行くそうだ。一生懸命に先を歩いてくれる彼。いつもよりも、なんだかその背中が頼もしく見える。駅の周りにはディズニーの商品を売っていたり、「ミッキー焼き」という大判焼きみたいなものを売っていたりする店も多い。ディズニーランドができて、ここも人出が増えたんだろうなあ。この間できた「ららぽーと」と一緒だ。

 

バスターミナルは、これからディズニーランドへ向かおうとする人たちでにぎわっていた。運賃は先払いの200円。これにはびっくり。やっぱり高い。だって営団の初乗りは100円だよ。いかんいかん、これだから銀行員はダメだ。バスは5分おきに出ており、あまり待たなくてもすぐに乗ることができた。

 

多くの人を乗せて、バスはディズニーランドへと走り始めた。周りは何もない野原ばっかり。果たしてこの先にディズニーランドなんてあるのかな?ちょっと不安になる。そういえば今度、浦安に大きな大学病院ができるってお父さんが言ってたっけ。本当なのかな?

 

15分ほど走ると、バスターミナルに着いた。周りには駐車場と背の低い木ぐらいしかない。埋め立て地にあるとは聞いていたけれど、驚くほど殺風景な中に、東京ディズニーランドの入園口があった。

 

チケット売り場へ 

早速私たちはチケット売り場へと向かった。彼が交通公社のお店で買っておいてくれた予約券を「ビッグ10」というチケットに引き換えてもらうことに。それにしても一人3700円はやっぱり高い。でも彼が出してくれたから、まあいいか。

 

ビッグ10は入園券とアトラクション券がセットになっている。アトラクション券はAからEまで種類があり、使える乗り物が決まっているようだ。券がなくなったら園内にも売り場があるから買えるみたい。

 

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ゲートをくぐると、そこは本当に「夢と魔法の国」だった。今まで殺風景なところばかり通ってきたからかもしれないが、いきなりアメリカにやってきたような、そんな気分だった。大屋根をくぐると、目の前には大きな真っ白なお城が立っていた。シンデレラのお城だそうだ。日本のお城とは全然違う。

 

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そこからは彼の案内で、乗り物にたくさん乗ることにした。あとで聞いた話だが、前日の夜にガイドブックを見て、一生懸命に回る順番を考えてきてくれたらしい。どうりで初めての割には慣れていると思った。

 

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スモールワールドの前にはステージ

イッツ・ア・スモールワールドの前にあるステージで「キッズ・オブ・ザ・キングダム」というショーを見たのだけど、音楽も素敵だし、踊りのレベルも高かった。スカイウェイからはディズニーランドを一望。ちょっとの時間だけど、彼との二人きりは緊張する。

 

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スペース・マウンテンは死ぬかと思った。真っ暗闇の中をどこに連れていかれるか分からないのも怖かった。思わず彼に泣きついたのはここだけの秘密。「東京ディズニーランド・パレード」もすごかった。遊園地のパレードなのに、どこかやっぱりアメリカらしい。

 

ミート・ザ・ワールドには「アトラクション券が不要」と書いてあったので、せっかくだからと立ち寄る。それにしても、なんだかここだけ「ザ・日本!」というような感じ。

 

どうしてアメリカのディズニーランドなのに、ここだけ日本の乗り物なんだろう?出口には松下電器の未来の家も展示されているし、なんだか変な気持ちになった。万博じゃないんだから。そういえば「エターナル・シー」も万博のパビリオンみたいだった。

 

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ブルーバイユー・レストランに感動! 

ここでご飯へ行くことに。「カリブの海賊」の横にレストランがあるそうで、そこへ。待合室から中に通されると、辺りは真っ暗。建物の中だけど、まるで夜の外のレストランに来たみたいな感覚になった。

 

メニューの値段は遊園地のレストランとは思えないほど高くてビックリ。彼の太っ腹さに、思わず感心してしまう。しかも料理はどれもおいしくて、それにもビックリ。遊園地なのにすごい。やっぱり値段のことはある。

 

レストランを出る前にお手洗いへ。それにしても「トイレ」「お手洗い」って書いてくれればいいのに、どうして「RESTROOM」なんて書いてあるんだろう?やっぱりアメリカだからなのかな?どうも慣れない。

 

レストランを出ると、私たちはまた乗り物を回り始めた。ジャングル・クルーズはまるでジャングルを本当に旅しているみたい。動物も生きているように動くし、何より船長さんの話が面白い。マークトゥエイン号は大きな蒸気船で、こんなのが遊園地の乗り物というのが信じられないくらいだった。箱根の海賊船みたい。

 

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気が付くと、あたりはもうすっかり夕暮れだった。私たちはお店に行ってお土産を買うことにした。色々な商品が並んでいる。私はポストカードとクッキーを、彼は「記念になるから」とペナントを買っていた。

 

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お店はやっぱり多くの人で賑わっていた。こういうところは日本らしいと思う。ミッキーの耳の形をした帽子なんかは、本当に飛ぶように売れていた。お土産はディズニーランドのロゴマークが書かれた紙袋に入れてくれた。

 

帰る前に家へ電話をかけることに。パークの中にも公衆電話があり、見ると何人かが利用していた。それにしても、わざわざ10円玉を持ち歩くのも面倒になってきた。そろそろテレホンカードを買ってみようかな。みんな使い始めているみたいだし。

 

帰りはまたバスで 

帰りはまた、浦安駅までバスに揺られる。車内は大混雑。さすがに私たちも遊び疲れてヘトヘトだった。混雑した車内では、せっかく買ってもらった風船を割ってしまう子もいて、なんだか一気に現実に引き戻された、そんな感じだった。

 

浦安駅からは、また営団で西船橋まで。

 

「今日は楽しかったよ。また今度、一緒に遊びに行かない?」

「ありがとうございました。もちろん、こちらこそ」

 

家まで送るという彼の申し出をやんわり断ると、私は家まで歩き始めた。今日は楽しかったな。そうだ、今度は両親を連れて行こう。「ディズニーランド、一緒に行こうよ」って言って。

 

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©Disney

 

そんな初デートから30年。月日というのはあっという間だ。だって、私と娘夫婦と孫と、そしてミッキーマウスと一緒に写っているのが、その彼なのだから。東京ディズニーランドは変わらない。そして、ミッキーマウスも、私の最高のパートナーも。

 

「ねえ、久しぶりにブルーバイユーに連れてってよ」

「やだよ。だって、あそこが高いのは知ってるだろう?」 

 

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©Disney

 

いかがだったでしょうか。1983年の開園当時のパークの様子を、一人の女性の視点から描いてみました。今回は当時と異なる描写がないよう、校閲部にチェックを依頼したのですが、それでも間違い・不備などがありましたらご容赦ください。

 

開園当時を知っている人からすれば「そうなんだよ!懐かしいなあ」と思っていただけると思いますし、当時を知らない若い方も「へえ、30年前はそうだったんだ!」と思うでしょう。

 

さて、ここからは解説!

1983年の東京ディズニーランドの開園当時、京葉線はまだありませんでした。舞浜駅ができたのが1988年12月。それまでは東京駅から直通バスに乗るか、最寄り駅である営団地下鉄(現在の東京メトロ)の浦安駅からバスに乗るしかありませんでした。 

 

車で行っても大渋滞。バスがなかなか来なくて、浦安駅から歩いてパークまでやってくる人もいたそうです。キャストさんももちろん、浦安駅からバスに乗ってやってきました。

 

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東京メトロ浦安駅前に建てられている看板。かつてここから、東京ディズニーランドへ向かうバスが多く出ていたことを示している。

 

そんな開園当時、舞浜駅も、イクスピアリも、ディズニーリゾートラインも何もありません。オフィシャルホテルとして最初にオープンした「サンルートプラザ東京」ですら、1986年7月、開園から3年後のことです。開園当時は駐車場と、まだ背の低い木がちらほらあるくらいの中にパークがありました。

 

今では信じられませんが、開園直後、当日券は平日のみ販売されていました。休日はあらかじめ日本交通公社(現在のJTB)・日本旅行・近畿日本ツーリスト・東急観光の旅行代理店で「入場予約券」を購入して、それをパークのチケットブースで引き換えていました。予約券は3か月前から販売されていたんですよ。

 

さらに一日乗り放題のパスポートも平日限定、しかも夏休みなどの学校の長期休業期間中も使用不可でした。そのため、入園券とアトラクション券がセットになった「ビッグ10」を買って、乗りたいアトラクションと手持ちの券とにらめっこしながら、アトラクションに乗ったものです。もちろん、アトラクション券はちぎって、キャストさんに手渡していましたよ。

 

ちなみに残ったアトラクション券は有効期限などはなく、後日でも使えました。またアトラクション券がなくなったときには、パーク内に4か所あるチケットブースで買うこともできました。

 

そんなアトラクションの中で唯一、券不要だったのが「ミート・ザ・ワールド」でした。ここは松下電器産業(現在のパナソニック)の創始者である松下幸之助の強い意向で作られたという、企業色の強いアトラクションでした。ここだけ、なぜか日本を感じさせるアトラクションだったことを覚えている人も少なくないと思います。

 

ブルーバイユー・レストランは開園当時、今よりも照明が暗かったのです。これはアメリカのディズニーランドの照明に合わせたため。しかし、アメリカの人々が薄暗いの中でも目がきくのに対して、日本人にはどうしても見えにくく感じられました。のちに照明は見直されて、開園当時よりも明るくなっています。

 

よく若い人に話すとビックリされるのですが、東京ディズニーランドは昔、現在のようなビニール袋ではなく、グッズはすべて紙袋に入れられていました。現在のものに変わったのは、東京ディズニーシーが開園した2001年以降のことです。

 

パークに行ったことがある方なら「あれ?夜のパレード見ないで帰っちゃうの?」と思ったかもしれません。実は当時、遊園地は日没後に帰るのが当たり前な時代。初代エレクトリカルパレードが導入されたのは、開園から2年後の1985年3月のことです。ちなみに、打ち上げ花火は開園当時から行われています。

 

今では年中無休ですが、以前はパークにも「休園日」がありました。これはワールドバザールが商業施設の一種だったため、ほかの施設と同様に法律で休園日を設けなくてはいけなかったためです。開園当時は週に1回ほど、2000年6月の法律廃止直前は年に数回程度ありました。

 

1983年。今からほんの30年前のこと。といっても、一人の人生が大きく変わる年月でもあります。さて、今から30年後、還暦を迎える東京ディズニーランドは、どういった姿をしているのでしょうか。ついつい将来のことが気になってしまう舞浜新聞なのでした。

 

おまけ

YouTubeに貴重な開園当時の映像がありましたので、ご紹介します。まだハニーハントがない頃のファンタジーランドや、スカイウェイを知らない方も多いのでは?